Teacher Aide Diary

Teacher Aideのメンバーが活動のようす、思いを綴ります。

東京支部代表アキレスさんのブログを読んでみて

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みなさんこんばんは!

 

Teacher Aide東京支部のマサキです〜。

 

今回はタイトルのごとく、東京支部代表のアキレスのブログが素晴らしいので感想を書くことにしました(唐突)

 

 

 

 

 

このツイートのブログですね〜

考えさせられる内容とともに、アキレスさんの色・熱意が溢れ出てくるブログになってます。是非一読を!

 

 

で、今回はそのブログの感想と考察(?)をのらりくらり書いていきます。

 

 

まず目を引くのは夜行バスマスターとしての威厳ですね(違う)

 

 

見る点違いますね。

どこに注目して読んでるってなりますね笑笑

 

 

私個人的に注目した点は、このブログの3と5です。

 

 

まず3では、アキレスさんの教育実習の振り返りが書かれています。そこで彼はこう書いています。

 

「より良いもの」を求めるための、考え、議論する道徳ができた

 

 

道徳の研究をする彼にとって何にも代え難い学びになったのだろうとこの一文から読み取れますね。

 

 

また、5ではこれまでの活動を振り返ってみて、経験したこと、見聞きしたことを踏まえて、改めて対話・思考の重要性を訴えています。

 

 

私はこのブログを読んで、アキレスさんの色を感じました。

その色は「赤がかった孔雀青」のような色です。

…て言ってもわかりづらいですよね笑

実際私にも説明しづらいんですよね。感じはするが、言葉にしづらい。孔雀青というのは澄んだ水色のことを言います。

 

 

こんな感じの色を感じた理由としては

淡々と紡がれてゆく文章体に熱いものが潜んでいて、それが溢れ出ているように見えたからです。一見クールにまとめられているが、その言葉の裏には燃えるものがある。

こう感じたので、その色が「赤がかった孔雀青」という風に表現しました。

 

 

こう感じた上で、私も考えてみました。

思考と対話・議論はなんのためにあるのか、を。

 

私個人の考えとしては、思考、対話・議論は鬩ぎ合うためにあるのではないという風に考えています。

 

今現在、ツッタカターなどのSNS、マスメディアにおいても対話・議論というよりは自分の意見の押し付けが目立つなって思っています。マスメディアのコメンテーターなども、大きな影響力を持つ人々も現状を憂いていることに変わりはなく、少しでもより「よく」したいという思いは同じだと思います。その対象が違うだけで。政治・外交・生活・教育、と様々な分野でそれぞれに関わる人々がそれらをより「よく」していこうと動いている、そのためには思考が前提となります。山の登り方は違うけれども、目標地点は同じなんです。

 

 

しかし、現状はどうでしょうか?

 

 

私は至る所で思考の鬩ぎ合いを目にします。そして、水掛け論になり議論が機能不全に陥っているところも目にします。

 

なぜこうなるのかを私なりに考えてみました。それは、

 

各個人が抱く意見はあながち間違ってはいない。その意見同士をぶつけてみて、「あー、確かにそうともとれるよな」といった具合の話し合いができればいい。前提・定義を洗い出した上で、その矛盾点を俯瞰的に吟味していく。議論の始まりはここにあるのだろう。
ただ、そもそも人の言うことは各個人で正しいのであって、間違いなどない。水掛け論になるのは、前提・定義を確認することを怠ったからである。
 
各々が考えることは「good」なのです。そして、その「good」を紡ぐことで「better」が生まれるのだと考えています。ただ、「good」と「good」を衝突させると「worse」に変わってしまう危険性もあることを見落としてはいけないことを認識することが求められましょう。
 
 
我々は、鬩ぎ合うために思考し、対話をするのではありません。
我々は「better」を生み出すために思考し、対話をするのではないのでしょうか?
そして、言葉の「裏」に隠されたものを、言葉の表層だけを汲み取ることなく、汲み取る必要があるのではないのでしょうか?
 
 
とまぁ、こんな感じで頭の中に浮かんだものを紡いでみました。もちろんガバガバな思考だと思います。しかし、このガバガバな思考も対話を重ねることで頑丈な糸になると信じています。
鬩ぎ合うのではなく、紡ぐこと。
 
 
長くなりましたが、最後まで読んでくださりありがとうございます。
 
 
(Teacher Aide 東京支部 マサキ)